2012年01月14日
スピード手術
久々のブログ・・・
御心配メール等、色々ありがとうございました・・・
父親の前立腺癌手術は無事終了しました。

前立腺に放射線の玉を60個も埋め込むと言う
さぞ、大変な手術と思いきや術後一泊で退院と言う
スピード手術てした。

これで父親の1つの不安は取り除けました・・・
2012年01月09日
暗闇に溶けて行く・・・
深夜、まるでフリーザーの様な国道117号をアウトランド号、発進!
父親の前立腺癌の手術の為、大阪へ・・・
深夜で、ほとんど通る車の無い国道を
スタッドレスを履いたアウトランド号は
バキバキと凍った雪を踏みつける音を発て
暗闇に溶けて行く・・・
昭和基地ば何処や~
2011年12月13日
もう一人の自分
来年早々の父親の前立腺癌の手術ための
検査の為の病院通い。
自分一人でも行けると言うのだが
なんせ「メニエル」に微妙な「アルツハイマー」
私が大阪に居る時位はと同行する。

親父は、まさか自分がこうなるとは思っていなかっただろうし
いつこんなに年老いたのかとよく呟いている・・・
親父のやりたかった事、いつかいつかで結局体が付いて来なくなった。
ヨタヨタと歩く親父の後ろ姿を眺めながら
これは親父じゃなく、近い将来のもう一人の自分の姿だと思う・・・
いつまでも時間がある訳ではない・・・
いつまでも体が動く訳ではない・・・
今の内に、自分の出来る事を全開でやらなくてはならない!
父親の背中が、そう言っている。
2011年11月29日
堕ちる
約一週間の大阪を終え十日町に戻る・・・
木々の雪囲いが出来ていなかったので
大阪に居る間、雪が降らないかヒヤヒヤな思いであった。
今回の大阪は母親の半年に1回の動脈瘤術後の検査と
父親の前立腺癌の手術の為の検査のためである・・・
ほぼ毎日、母の施設に顔を出し時間が合う時は
食事を食べさせる・・・
まったくのミキサー食をスプーンであたえ
「これは、どんな味するねん・・・おいしいか?」等と声をかけ・・・

半身不随になって20年、透析が始まって7年位か・・・?
「人生ってなんぞや~」っとモチベーションが下がる・・・
あかん・・・大阪に帰ると気持ちが堕ちる・・・
分かっている・・・
だから、今回もバンドのリハを入れる・・・
年末に控えたライブ
一週間の宿、アウトランド号の車内で
眠りに堕ちる前・・・「そや!母の食べている食事は最先端の宇宙食や~」
「母は最先端バリバリや~」っと、堕ちる気持ちを持ち上げ
眠りに堕ちる・・・
人生・・・上がったり下がったり・・・・・・・・
2011年10月08日
老いる事
夜の高速を飛ばし大阪へ向かう・・・
親の件で有る。
今年の春以来、親の件は大阪に住む姉任せであった・・・
ばあちゃん(母)は、やっと週3回の透析への搬送もしてくれる
老人保険施設へ転院・・・
そして、メニエルと前立腺癌に苦しむ親父(父)・・・がバタバタなのである。

春の時もイヤ以前からそうで有ったが、一度決めた段取りを直ぐに変更してしまうのである。
私と姉で、最悪を考えヘルパーや病院の段取りを組む・・・
しかし、親父が自分の体調が良い時に全て勝手にキャンセルしする
そして、調子が悪くなると「なんとかしてくれ~」と言う事になる。
今回も体調が良くないと言う事で、姉がなんとか段取りした「住宅方老人ホーム」を
入る・入らない・入る・入らないと繰り返したのである・・・
その度に予定が変わり、疲れ果てた姉に代わり私が出動したのである。

2泊3日で有ったが、昼間は父の施設の事で動き、夜は母の施設・・・
うむ~っ・・・なんとか収まると良いのだが・・・
老いる事・・・間もなく?・・・イヤ!いずれ私にもやってくる・・・
親を通して心の準備である。
PS、折角の大阪ではあったが、バンド仲間に会うパワーは出なかった・・・
2010年12月24日
二人のクリスマスイブ
介護疲れの父がヘルペスに・・・
感染しては大変と急遽母親が入院することに

雪が本格化した新潟・十日町とは違い
大阪は天気・・・母親の病室にも日差しが射し
室内は温かい・・・が、クリスマスイブの本日は風が強く寒さが堪える。

母親にペースト状になった食事を食べさせながら
買ってきたケーキを 「今日はクリスマスイブやから、ケーキでも食べるか~」っと・・・
返事は弱々しいが、うなづいた・・・
私はポツリと 「ばあちゃんとの二人のクリスマスは初めてやな~」っと呟いた
母は黙って私を見つめていた・・・
食事が終わり、母の頭をなぜていると、母は眠りについた
そして、母と二人のクリスマスイブは過ぎて行った・・・

みんな何かを抱えてる・・・
しかーし! LIVE まもなく
2010年10月12日
先週末の大阪・・・
母親の病状の件で急遽大阪へ・・・
長期にわたる透析で、透析のできる血管が少なくなって来たとの事・・・
あぁぁぁぁっ・・・母親が可哀そうである
延命・・・それは本当に願う事では有るけれど、痩せ細って行く母を見ていると
言葉が無い・・・
透析に鬱血する手を摩りながら無力さを感じる・・・
そして、その無力さを私以上に父は感じている・・・
カトモのOМを前に・・・
人生、1回! 悔いのないようにっと願うのであるが・・・

2010年07月19日
12時間の大阪
ばあちゃん(母親)が肺炎を起こし緊急入院・・・
連絡をもらってから2日ほど経っての大阪だった為
ばあちゃんの症状は何とか戻り、一般病棟に移っていた・・・
すっかり小さくなってしまったばあちゃん
もう私の事は完全に思い出せないようだ・・・
なんか切なく・・・言葉に出来ない

想いや越せば2006年私が大地の芸術祭エントリーの為
作品作りにバタバタしている頃、ばあちゃんは2週間ここアウトランドに居た
介護とメニエルに疲れている父を休ませる為にと、ばあちゃんの気晴らし・・・

週3回の透析に送り、空いた時間には柏崎の海や長岡丘陵公園までドライブに
作品作りのブロック積みに「何造るの~」っと、二人で笑いながら少し積み上げた
そして、ばあちゃんは翌年も十日町へ来
想いで作りを繰り返した・・・

あぁぁぁっ・・・苦しむばあちゃんを目に焼けつけたくない
アウトランドの夏のシーズンが終われば、また来るよ・・・
もう私には何も出来ないが、頑張って・・・親父も頑張って・・・
っと、わずか12時間の大阪滞在でアウトランド号を新潟に向けた。

ばあちゃん・・・まだ枯れたらアカンで・・・
2010年01月14日
人生が二度あれば・・
母親の透析を受ける左手の血管が詰まってきたので
右手に変更する手術をする為に入院・・・
雪の降る中、オリャ~っと大阪へアウトランド号を飛ばす!
別に私が行ったからと言って母が楽になると言う訳ではないけれど
ほとんど話をする事は無くなって来たけれど
たまに思い出したかのように返事をする。
こちらの言っている事はちゃんと分かっているみたいだけれど・・・
その母に父が「長生きしょうや~」と言いながら食事を食べさせている・・・
なんか悲しくなる・・・

そして、高速を雪国へ飛ばす・・・
人生が二度あれば・・・
2008年05月11日
老い・・・
今回の大阪は、動脈瘤の手術後のばあちゃんを検査する為に大阪大学付属病院に連れて行くことが目的の一つである。 いや、その予定に合わせて大阪での用事を色々作ったのである。
愛車アウトランド号のセカンドシートをベットにし、完全にばあちゃんの搬送モードにする・・・
横のハイバックシートには今回は姉が乗りばあちゃんに話しかける・・・
落下防止の手すりも付き、ばあちゃんはのんびりと日差しを浴び、大阪大学付属病院へのドライブを楽しむ・・・
寝たきりのばあちゃん(母)は動脈瘤の手術後痴呆が進み、今回私は10日間大阪に居たのだが私を理解したのは1度だけだった。
以前は私が大阪に行く度、即泣きそうな顔をして喜んだが、今回はその泣きそうな顔になったのは7日目の朝だけだった・・・周りは「ちゃんと分かっている」と言うが・・・
別に寂しいわけではない「老いると言う事はこうゆう事」と、当たり前に受け止めている。
約一年前、新潟に来た時は会話も出来、食事もそれなりに自分で食べることができた・・・
トイレも「もよおす」とばあちゃんコールが鳴り、手を貸せば便器でできた・・・
約2ヶ月一緒に寝起きを共にし、深夜無呼吸症候群の母に少々驚かされたが、
「あんたもやで~」と返す母に笑ったものだった・・・
しかし大阪に戻り、手術後はオムツに・・・そして食事も自分では無理になっていった・・・
振り返れば動脈瘤の手術の為、大阪大学付属病院に10日間、その後白鷺病院に数日・・・
一度自宅に戻ったが、父親の調子が悪く、また白鷺病院に・・・そして痴呆が進んだ・・・
私が家で寝起きすると「言いたい事」も出る! すると親父は少々段取りが狂いやりにくそうになる・・・それにモバイルパソコンでの仕事は、朝が早く(昼間は暇)夜が遅い・・・親父達の生活リズムと違う・・・
結局私は実家の近くの駐車場に止めたアウトランド号で寝起きをする事にしチョクチョク家をのぞいた。
やってあげたい事と出来る事のギャップに、少々意気消沈するが、仕方の無い現実として受け止める。
話はそれますが・・・
御風呂は車で5分の温泉センター「やまとの湯」そしてその隣には24時間営業のマックスバリュー(ジャスコ)で食事や着替えを買う・・・
テレビが見たくなったら、その横にあるネットカフェで寛ぐ・・・ウ~ン! ファンタスティックな生活である?
しかーし、毎日これでは金がかかるぅ~・・・
1回650円の風呂を390円の街の銭湯にも日によって変更するが、銭湯にはシャンプーもリンスも無く100円で買うウム~・・・
ジャスコで夜の見切り弁当を食べるが・・・ウム~いい加減飽きてくる・・・
全てに切り詰めている訳ではないが、「大阪での外生活費を、いかに安く上げるか?」が、いつしか頭の中のテーマとなっていった!
大阪珍?暮らしである・・・
話を戻しますが、親父を見ていると「実際に老いていく事実」と「気持ちの上での老い」にはズレがあると言う事を感じる・・・
幾つになっても「まだ出来る」「いつかやる」「そのうち・・・」と言う意気込みが、日々の生活でやっとになり、かえって自分を追い込んでしまう。
寝たきりの母に「元気になれ! 元気になれ!」と色々と施すのは分かるが、
今のばあちゃんにはゆったりと過ごす方が良いと思う・・・
「希望を無くせ」と言う意味ではない、「体の老い」と「気持ちの老い」を、もう合わせて行く事が大切である・・・
しかーし! 今の世の中「気持ちの老い」が、やたら先走っている奴が多いのも事実である。
そして私は「老い」に抵抗しているのも事実である・・・
2007年12月18日
高速を飛ばして「ワォ~ッ!」
今回の大阪は母が動脈瘤の手術を終え、暫しの病院生活から11月28日に家に戻り、その後日々の生活の中で透析・リハビリ・食事・トイレ等がどんな感じなのか? 親父はどうか? 等の具合を見にと言う事が第一目的であった・・・
母は病院生活が続いたせいか、唯一突っ張れた右足も突っ張れなくなり完全にオムツ状態となっていた。少々の痴呆も進んだがなんとか家に戻り笑顔が出てきた所だった。しかし親父はメニエルは出なくなったものの体力・気力共に疲れ気味・・・性格的なものも有るのだが多くのヘルパーが時間で訪れ、その都度「あれこれ」と親父はバタバタ・・・全てを任せれば良いのだがそれが出来ない。。。夜は夜で1人で母を見なくてはならないと言う不安が襲う・・・
年老いた親父は、時間・時間で組まれている透析・介護の段取りに気持ちも体力もついて行けないのである・・・元々「人に合わせる性格」ではなかった親父(私も似ているが・・・)は自分の病院通いを含め一日が終わればクタクタになっている。
さあ!どうすれば良い?
介護は点数制である。身体介護4級の母に対して何点までかの点数で色々なケアが受けられる。そんな中で透析に通うタクシーの点数がどうしても掛かってしまう・・・ソーシャルワーカーの榊原さん、ケアマネージャーの山中さん達と打ち合わせを「ああでもない、こうでもない、ここをこうして、もっとなんとか・・・」と繰り返していくが私の頭は暗礁に乗り上げた・・・
このままでは新潟に戻れない・・・
結果、今回は病院に無理を言って母を入院させる事にした・・・しかし、やっと笑顔が出てきた母からは、また笑顔は消えた・・・
今回はどうしようもない選択であった・・・帰る前に母に夕食を与えた後、後ろ髪を惹かれる思い出で大阪を後にした・・・
深夜の高速を飛ばす! 頭の中は色々な考えが巡る・・・母を新潟に連れて来るか? 私が長期で大阪に行くか? 答えの出ない難問に溜息が出る・・・深夜の冷え切った風がより心を締め付ける・・・深夜のサービスエリアで1人食事をしているとテレビに福田内閣が映った・・・なんか間抜けな答弁をしていた・・・老人大国日本どないなんねん!と深夜のサービスエリアで「ワォ~ッ」っと叫びたくなった・・・
2007年07月21日
退屈ばあちゃん・・・
新潟に来て1ヶ月が過ぎ、透析・訪問入浴の無い日はばあちゃん退屈そう・・・ずーとテレビを見ているけれど・・・私も私で色々作らなくてはならない・・・
昨年は梅雨前に来たので晴れの日も多く、長岡丘陵公園や柏崎の海に出かけたりしたが、今年はどっぷりと梅雨シーズン! それにイベントの準備でバタバタ・・・ そんな訳でばあちゃん退屈・・・
「ばあちやんホームセンターに一緒に行こか・・・ついでにジャスコにでも・・・」
そんな訳でデッキ材料の2×4材をばあちゃんと一緒に買いに行く・・・サンダー軽トラに揺られ、透析に行く時とは違う山並みの道で遠回りをし・・・「ばあちゃん・・・和歌山の龍神っぽいか~・・・田舎はエエな~」等と、たわいも無い話をしながら・・・
2007年07月04日
ばあちゃんのウルトラサイン!
追加で処分価格で頂いた和芝50束、雨の中急ぎで張る・・・急ぎで張らないと腐ってしまう!
すっかり葉が黄ばみかけているが、芝は強い! 水と日差しがあればきっと蘇るはず・・・
そんな中、普段は静かなアウトランドにばあちゃんからのウルトラサインが鳴り響く! ピーポーパーのメロディが・・・
これはばあちゃんのトイレコール! ワイヤレスのドアホンである。外作業が多いのでスピーカー部を家の中と外に付けている。このウルトラサインが出れば急いで駆けつけなくてはならない・・・殆んど事前のウルトラサインだが日によっては超特急の場合がある。
ここ3・4日便秘がちだったばあちゃんは2日続けて便秘薬を寝る前に飲んでいるが、溜まったウ○チは出口付近で石の様に固くなり、便意は感じるもののなかなか出な~い! それに座るのも辛そうである・・・そんな苦しみの中、昨日昼間になんとかハイ弁?排便!
やり~! ほっとひと安心! ばあちゃんも「ほっと」したようで、私も胸の支えが取れた・・・
しかーし、次の心配がやってくる! それは石のようなウ○チが出たのは良いが、薬によって軟らかくなった物は一度に出きっていないのである。そう、柔らかくゆるいのがまだお腹に残っているのである。この第2のウ○チ、これがくせ者なのである・・・
便意を感じてからのストッパーが効かない・・・何時来るかドキドキである・・・
ピーポーパーのウルトラサインが鳴った! 急げー! 一刻を争う・・・ばーあちゃんの居る離れまで20メートル!ドアを開ける・・・
う~ん!ハニー!香ばしい香りがグレートに漂っている・・・「ばあちゃんウ○チか出たか?」の問いかけに「うん!なんか出てるみたい・・・」「なんか・・・?」私「ウ○チに決まっているやんけ~」「我慢せーよ・・・」 ばあちゃん「なんかいっぱい出てるみたいやで・・・」 私「みたい・・・他人事ちゃうで~」・・・
かくして昨日の夜は、私とばあちゃんのウ○コ祭りであった・・・
これは人生運(ウン)が付くで~・・・何事も経験である! やり~っ!・・・2度目のウ○コ祭りバンザーイ!
食事中の方は、すみません・・・
2007年06月27日
メニエル
母の事で面倒をかける、その分ワシ(親父)が新潟に行ったら草刈など出来る事で助ける・・・と言っていたが、結局持病のメニエル症状に悩まされ点滴の繰り返し・・・今回これ以上居ると迷惑ばかりかけると親父は一時大阪へ・・・
メニエルは精神的ストレス・疲労等で症状が出る。親父は新潟に来て3日後、炎天下の中草刈等の作業を手伝ってくれた。そして翌朝ダウン! 頭か回り、動けなくなり救急車で十日町病院へ・・・点滴を打ち自宅で休養するが、「手伝いに来たワシ(親父)が迷惑掛けている」と言うジレンマからなかなか体調がすぐれない、むしろ徐々にひどくなる・・・
昨日も十日町病院で点滴の予定であったが、「大阪に戻りたい・・・」と言う親父の希望で急遽大阪行きを決めた。

体調がすぐれない親父をどうして早く無事に大阪に戻すか、東京まで車で送り新幹線? しかし駅の雑踏の中で目が回らないか? 高速バスでは時間が掛かりすぎる・・・う~ん・・・飛行機にしよう! 気圧の事で三半規管に影響しないか少し心配では有るが、飛行機だとスチワーデスが側に居る。 搭乗手続きの際メニエル病の事を伝え完全「要注意親父」としてお願いし見送った・・・大阪では仕事を半日休んだ姉が空港で待機した・・・
そして、1時間後、無事空港到着を確認。さらに1時間後「無事自宅到着」と姉から連絡が入る・・・
親父の性・・・新潟で頑張る息子の足手まといにならない様、手助けをしてやらなくては・・・そんな思いのなかメニエルで苦しんだ・・・ 大阪へ戻りたかった親父の気持ちは良くわかる・・・
元気になって、また戻って来いよ~・・・どうせ言ってるうちに面倒見やなアカンねんから・・・
親孝行・・・出来るうちが華である・・・
2007年06月20日
10日間の大阪
身体介護4級の母親の介護疲れで親父がダウン! えーい!この際一時2人揃って新潟で休養!!! となり先日、大阪に暮らす親父と母親を迎えに行く為10日間も大阪に行ってました・・・
まず、母親はお腹に動脈瘤を持っていてそのデカサが6センチ位ある。健康な人なら5センチ位で即!手術だか母は左半身不随のため寝たきり、その為爆発する可能性が少ない・・・しかし、もう先生は限界との事。本人も手術をやりたがらず延ばし延ばしの状態で今日まで・・・(数ヶ月前の龍神村里帰りも手術の前に一度と言う気持ちからである)・・・
それに母親の介護疲れから、父親がメニエル症候群になった・・・以前から父親は耳鳴りが取れず次第に軟調になって行った・・・
この病気は三半規管の厄介な病で普段は元気なのだか疲れが溜まると平衡感覚を失い頭を上げられない状態になる。吐き気等も続き全身汗だく、そして目の前が真っ暗になつたり天井が回ったりし3時間ほどは動けなくなる。
3月に一度夜中に症状が出、1月後の4月に2回目、そしてその症状が出る間隔が徐々に縮まっていった・・・
これでは母親の介護は完全に無理である。そこで、まず母親の件で動脈瘤担当の先生に予約をとり、その旨をつたへ新潟へ一時の移動が可能かと言う事と手術の延期が出来るかと言うことの確認をする。デカイ病院の為、今日行って今日会えないのである・・・
そして、オーケーが出るのに3日掛かった・・・その間一度親父が外でダウン初の救急車体験・・・親父は点滴を打てば翌日からは元気にはなるがいつまた症状が出るか分からない・・・
母親の動脈瘤の件でオーケーが出た後、今度は週3回の透析の段取りを大阪の病院から十日町の病院へ変更をかける。そしてレンタル介護ベットの手配から訪問入浴の段取り・・・ケアマネージャーと相談しソーシャルワーカーと病院への紹介状のお願いと続く・・・
なかなかヘビーな今回の大阪では有ったが、私の頭の中には切り替えモードーが付いていいるので?ストレスは極小である・・・と思う・・・
この病院の段取りの間に30年来の友人とのバンド「エンジェル」の8月のイベントの為のリハを行い、アウトドアショップ巡り、そして大阪四天王寺と奈良公園に行き寺巡り・・・へビーな時こそ動き回り気分を変える・・・

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そして、そんな私の寝泊りを支えたのはワンルームカー「フォーシーズン」であった・・・10日間全て車泊であった・・・つづく
2007年04月03日
龍神村の想いで・・・
35年ぶりの龍神村は道が広くなり舗装されていた・・・しかし、大した開発は無く時代に取り残されたようにエエ感じです。
母は二人の兄の嫁さん達と会い、過ぎた日々の思い出話を束の間でしたが楽しみ、車から降りる事は有りませんでしたが自分が生まれ育った龍神村の空気を体いっぱい感じてくれたと思います。本当に束の間の1時間でしたが・・・
私にとっての龍神は・・・幼少の頃(小学生)夏休みになると訪れ・・・そして、勉学に励む事無く毎日のように日高川で泳ぎ、体は真っ黒!股間は肌色! 夏休み明けに自宅近くの銭湯に行った際は「白いパンツをはいているようだ」とよく笑われました・・・
今から考えると遠い昔・・・しかし、人生の不安もなく伸び々生きいきと・・・いい時代の鼻タレ小僧でした・・・
そんなに月日が経ったのか~・・・と、昔を振り返り「今」年老いた母と親父・・・人生ってなんぞや? 大人になることは楽しい事なのか~?・・・ウゥ~・・・ウゥ~ッ・・・あまり考えすぎると先が見えなくなる・・・やっぱり人生はレンガ積み!雑念は持たずコツコツと天国まで積み上げる??? なんのこっちゃ分からないが、そんな想いで龍神村を後にした・・・
帰り、国道425号そして424号、途中椿ダムの神秘的な湖面を過ぎ、ポカポカ陽気!すっかり春の山並みを眺め「十日町の雪は溶けたかな~・・・新芽は出たかな~」等と思いを巡らしながら吉備インターを目指す・・・
また、6月に来よう! 母と親父を連れて龍神へ・・・カトーモーターのイベントが終わったら移動オフィス・フォーシーズンと共に!
大阪~新潟の距離を考えれば、大阪~龍神なんてタバコ買いに行く位の距離 (どこがやねん!) いつでも連れて行ってやるぞー龍神村へ
2007年04月01日
またまた、急ぎ大阪・・・
今回の急ぎ大阪は、身体介護4級の母の介護疲れで、親父がめまいを起こし「さあ、大変!」の状態になったので駆けつけた次第・・・
親父が入院となると母が大変・・・昨年同様しばらく母を新潟にと・・・しかし、親父は日ごろ飲む薬を飲み忘れていたと言う事でもち直し「大丈夫」と言う事になった・・・が、これで良いのだろうか?
親父は、見知らぬ土地で悪戦苦闘の息子(私)の足枷になりたくないと言うが、現状では気になって仕方が無い・・・親父は「どうしようも無くなったら世話になる」と言うが、その時私の状態が良くなければ受け入れられない・・・だからまだ、私が元気な内に来てもらいたいものなのである・・・
親父のプライド・強がりは、年と共に劣化して欲しいものである・・・やりたい事と出切る事の見極めの自覚が必要な時であると思う・・・

せっかく大阪に来たのだから、母が行きたがっていた母親の実家、和歌山県の龍神村に出かけた・・・
移動オフィス・フォーシーズンのリビング部分をベット化し、母親は完全に寝た状態での輸送?
前日の夜、阪和自動車道で大阪を南下・・・途中から高速は国道42号線に変わりサービスエリアの印南で本日泊・・・サービスエリアとなっていたので色々とレストラン等が揃っていると思ったら建設中でトイレと自動販売機のみ・・・ちゃんと「建設中」と表示しとけ~・・・
仕方無く、出発前に買っていたおにぎりで夕食をすませ仮眠・・・移動オフィス・フォーシーズンの車内はエンジンを止めてもFFヒーターで暖か、親父と私はバンクベットで熟睡・・・母はなかなか寝付けないようだったが・・・

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6時起床! 外は晴天絶好調! コンビニで軽食を済ませ国道242を龍神へ向かう・・・車は日高川に沿って道を蛇行しなが龍神へ向かう・・・新潟と違い和歌山はすっかり春で、新芽は芽吹き、間もなく山桜も開花しそうで、気分も爽快・絶好調! 途中レストランで休憩をとり龍神村に入る・・・
つづく
2006年05月23日
訪問入浴
昨日はばあちゃんがアウトランドに来て始めての透析・・・私はCMのナレーションの仕事で東京だった為に完全にワイフと娘と介護タクシーにお任せでした。


少々気にはなっていましたが透析も送り迎えも問題無く無事終了したそうで、心配は取り越し苦労だったようです・・・

そして本日は十日町に来て最初の訪問入浴の日。私は一度大阪で見ましたがマネージャー・看護士・ヘルパーと見事に役割分担されていてテキパキと行動し「さすがのプロ」を感じさせてくれます。おまけに笑顔をたやさずニコニコ会話で!・・・こちらで始めての訪問入浴に不安があったばあちゃん大満足だったようです。


これからの老人社会日本! こんな方達が本当に大切になっていくと私は思います・・・
2006年05月21日
ばあちゃん大阪より登場!
昨日約10時間かけて大阪より身体介護4級の母親をアウトランドまで無事搬送を完了し、今日晴天のアウトランドで母親はのんびり「日向ぼっこ」です・・・
今年は大地の芸術祭を控え「忙しい時期に迷惑をかける」と父親は来ませんでしたが年々弱っていく母と介護に少々疲れ気味の父を休ませる意味でも一時(約一月位)の母の受け入れを昨年からの約束通り決行です。(月間アーカイブ2005/12/04~2006/04/15)
これは親孝行なのかどうかは分かりませんが、何であれ後で「ああしたら良かった」「こうしたら良かった」等と後悔したくないので出来るうちにやっておく・・・父親が十数年やっている介護生活と比べると、ひと月やふた月の全面介護、自分がして当たり前の事である。
しかし、これまた無理せずマイペースにである。
本日は電話の取り付けやテレビの取り付け、食事、薬、等、実際母親が居ての段取り確認! ワイフもだいたいの一日の流れを確認し明日から始まる週3回の透析と訪問入浴に備える・・・
面倒だと考えるとイヤになるので、全て当たり前と考えて物事を進める・・・確かに外作業やワイフの時間は減るが、これは天国の神さんから私達に枷られた課題で、やる事が当たり前なのである・・・そして、そう考えると弱音を吐きたくなくなる。 「来る物は拒まず、全て前向きに」である。
年々小さくなる母親は心も子供になりささいな事でも喜ぶ! こんな事くらいで嬉しいなら沢山ささいな事をしてあげよう・・・・・私も出来るうちに、そして生きているうちに・・・
2006年04月15日
ばあちゃんログ・テレビの配線完了!
ばあちゃん介護用のログのテレビの配線完了です。身体介護4で殆ど寝ているのでテレビは絶対の友!大阪より映るチャンネルは少ないし電波の関係上画面の映りは悪いが無いよりマシ・・・
以前やった電話の配線カバーに一緒に這わせる・・・カバーを全部外しアンテナ線を入れていく・・・一度にやっていれば手間は少なかったのですが・・・少々手間でしたがなんとかログまでアンテナ線が来ました。バンザーイ!
これで寝たきりでも大丈夫・・・後やる事は訪問介護風呂の給排水ホースを通す壁穴開け・・・そして雪が無くなればOK!
まだ十日町は少々寒いが、もう間もなく「ばーちゃん」のご来店でーす!
2006年02月25日
電話の配線終わり
のんびりしていますが、先日軒下工事をしていた電話の配線がやっと介護ログまで届きました。延々と55メートル・・・直接つなげば10メートル足らずなのに・・・雪の事を考えるとこうなってしまう。
これで身体介護4級の母が来ても電話を使えるので少々気がまぎれるだろう・・・。
話は変わりますが、先日の大阪の際、初めて介護巡回風呂に入る母を見ました。新潟に来ればしょっちゅう見れるのですが・・・・何と言うかスタッフ(若い女子2名・男子1名)の段取りの良さや気配りに少々感動です。最近働かない若者が多いと言われる中、仕事ではあるけれど本当に偉い!! チーフの方は母とちゃんとコミュニケーションを取り、その間他の2人がテキパキと浴槽を組み立て10分足らずで入浴開始・・・話によると一日6~7件回るそうです。本当頑張ってる若者は偉い!!!
これから老人が益々増える中、(私も言っているうちに・・・) 日本は大丈夫でしょうか? 車椅子の総理大臣でも生まれない限り無理やろなー・・・
2006年01月24日
ばあちゃん受け入れ介護ログ準備
今月末には私の母親がこちらに来るはずだったのですが、豪雪の為、春先に延期になりました。(月間アーカイブ2005/12/04参照)
やはりテレビの報道番組を見ていると、十日町・津南はとんでもないドカ雪で身体介護4の母は少々弱気なったみたいです。まあ、私は介護ログの準備に時間が出来たので、少々のんびりと除雪の合間にチョコチョコといじっています。介護ログは8畳ほどで風除室がない為、本日はカーテンレール取り付けをしました。(ワザワザ言うほどでもありませんが)これがある事によって扉の開け閉めの際、外気の進入・室内暖逃げを極力防止。私の母は寒がりの熱がり・・・ささいな事でも出来る事は今のうちに!

←「押せるうちは今のうちに」ポチッと・・・助かります。
話は変わりますが、この部屋に設置している薪ストーブCI-1G。私は確かストーブ屋さんから中古で2万位で買って来たのですが、こいつはなかなか扱いやすくパーワーが有ります。このタイプは旧タイプで扉の吊元が1つですが、現行タイプは2つになっています。アウトランドではピキャンのNECTREシリーズを販売しているのですが、このストーブもお薦めです。(月間アーカイブ)ばーちゃんも暖か・・・
←ファイヤーポチッっと・・・
2005年12月12日
床下19cm
介護ログ床下の配管です。当初水道工事会社の社長が見積もりに来た際は床下には入れないのでトイレ・洗面は手前のログ壁の側と言う事だったのですが、私の希望としては数日前の介護機器リース会社の人との打合せで決めた場所。社長の話は頭に入れておくが、あとは来た職人さんとの話である・・・職人の親方に何とかこの位置につけたいと相談すると「ウム~狭いなー」「まぁ1回入ってみるベー」と・・・高さ1ブロック分19cmの隙間に入ってくれました。入る際はゴザを敷き助手の方が足を押さえ押し込んでいく。ほとんど自分では動けない状態・・・そして仰向けのままで給排水配管をつないで行く。給水官にはヒーターを巻き配水管は2%の勾配をつけ・・・本当に頭が下がる職人魂です。


親方の悪戦苦闘の末、本日洗面に水が来ました。トイレも不足の取り付け金具が来ればOK状態。給排水か室内までしっかりと配管されました。
母屋より地中を6メートル。鉄の柱を上に向って4メートル。介護ログ床下を5メートル。計約15メートルの配管。雪もなんとか免れ本当にこの時期、感謝・感謝の突貫工事でした。 あ・り・が・と・う!


今回勉強になった事
配水管は勾配2%・・・素人の考えだと排水官は斜めにすればするほど良く流れる気がしますが、あまり勾配をつけ過ぎると、おしっこ(水)だけ流れて、ウンチが止まる可能性が有るそうです。2%の勾配が丁度ウンチと水が仲良く流れる角度で、最悪の場合でも1%~8%の間で調整だそうです。
2005年12月10日
車椅子の為の入り口床上げ
みぞれ交じりの雨の中、入り口デッキ周りの床あげです。
道路より車椅子で室内まで入ってこられるよう室内高と同じ高さに外デッキ床を上げます。ノーマルの2×4材で前のデッキの上に作って行くいたって簡単な作業です。後県道からのスロープは車椅子の大きさを考え以前有った物より一回り幅を広く雨がかかる所の為、防腐剤の含まれた2×4材で作っていきます。デッキ部を上げたおかげで勾配もゆるやかになりグットだと思います。しかし寒い・・・


この時期外作業は本当に大変。水道工事の人も大変良くやってくれます。年配の親方も親の介護の為の改造と言う事で結構親身になってくれ「洗面がこの位置だとトイレから立つ際、頭を打つから少々ずらそう」など、それなりに考えてくれ頭が下がります。
耐震強度偽装が問題になっている今、職人さんの顔が見え、お互いの意見を交換しながら作っていく・・・これが本当の家作りだと思います。


2005年12月08日
介護用ログに改造開始
来年1月中旬より身体介護4の母を受け入れる為に県道脇にあるミニログ改造開始です。数日前の「ドタバタと大阪」にも書いたように週3回の透析や車椅子移動・巡回風呂等を考え母屋からは少々離れになりますが・・・ここが一番便利だろう。


まずはメガトン雪が降っては出来なくなる外の水道関係の工事からです。これはプロに頼まなくてはなりません。中越地震復興工事で忙しい中、無理を言っての工事です。トイレの位置を何処にするか?介護ベットの位置は?巡回風呂を頼んだ場合のスペースは有るか?など、色々と考えながらのプランニングです。


十日町の介護設備レンタルの人とも、介護する場合はどのような事が考えられるかと相談に乗っていただき、アバウトではあるが徐々に頭の中が整理されていき部屋のセッティングプランも決まりました。


レンタルの人と打ち合わせも済み少々雑談していると、その人は元ソムリエだったそうです。関東エリアのホテルなどを転々と回りながらソムリエをしていたそうですが、親の事があり十日町に戻り介護関係のこの仕事に着いたそうです。
いずれはケアマネージャーの免許を取る予定だそうです。その人が言っていました。「流行でこの仕事に着く人は続きません」「身をもって感じた人でないと・・・」。ウム~あんたはエライ!座布団3枚・・・失礼・・・冗談はさておき・・・色々考えさせられますねー。親のこと含めこれからの老人社会・・・まあ大きく考えすぎると頭が壊れるので、取り合えず目の前の母から・・・
2005年12月04日
ドタバタと大阪
私の母親は10数年前に脳内出血で左半身が不随になり、まつば杖と車椅子の生活になりました。父はまだ健在でその母を面倒を見ていたのですが、3年前に肝機能低下で緊急入院で透析開始。何とか回復したのですが退院の前日ベットからすべり落ち左足の付け根を骨折、入院延長・・・足の付け根の為手術は非常に難しいと・・・しかし手術をしないと今度は起き上がれなくなり筋肉が益々弱り寝たきりになる可能性も・・・おまけに手術の担当医からは「お母さんはお腹に動脈瘤を持っているので非常に危険な手術になります」と・・・家族会議!・・・結果母親の同意を得て手術に・・・手術成功! そして退院までの間に両親が住む家を姉と私の出資で障害者対応にトイレ・お風呂をリホーム。そして、それ以来週に3回の透析を父親と介護センターのスタッフの方達で行ってきました・・・が
11月始めに在宅中、父が目を放した隙に転倒・・・今度は腰椎骨折!即入院。もう父も限界である。父は「自分が面倒見る」と言うのだが、10数年間に及ぶ母の容態・介護に父も限界である。そろそろ私も考えなくてはならない・・・。
母は私が病院に行った際は大分と元気になっていました、私は「まるで不死鳥の様に蘇る」母を見て拍手と感心でしたが確かに年々母は小さくなっています・・・


今回マイワイフの承諾を得て、来年1月中旬より母親を一時受け入れる段取りの為、緊急大阪のドタバタでありました。
ブログさぼってすみませんでした~! でもいつかは皆こうなるぞーーーー老人大国日本チャチャチャ!!






















