2007年01月03日
ズッコケ・ロックンロール・ストーリー2
このストーリー2 を読む前に、まずストーリー1を・・・
(リトル村長のR&Rズッコケ・ストーリー1)
エンジェル脱退し次の構想・・・頭の中にはいっぱいあるが、私1人である・・・それに音楽業界とは繋がっていたい・・・取り合えずサウンドクリエーターのS氏の考えには疑問はあるが、このままサウンドクリエーターのイベントの手伝いを続ける。相変わらず私は関西において会場大荒れのロックンロール・アーティストの警備担当である・・・社員でもないのに?その頃、矢沢永吉はシングル「時間よ止まれ」が大ヒット・・・それに伴い各会場もキャパをオーバーし大荒れ・・・20名~30名のアルバイト(友人とその友達とその友達)を従えてコンサート警備に来ている私はどの会場も「ドヒャ~」状態である。しかしヘッドである私はどの会場もそれなりに治めていかなくてはならない・・・コンサートが荒れ矢沢永吉が今後この場所で出来なくならないよう・・・矢沢のコンサートを守ると言う事はいずれプロに成るであろう私の為でもある・・・そう自分に言い聞かせ大荒れの客席へ飛び込んでいった・・・
思い出に残るコンサート警備の話を・・・
明石市民会館・・・私がサウンドクリエーターで矢沢の警備を仕切っているのを聞き兵庫のイベンターの芦屋坊主(へんな名前である)から明石市民会館の矢沢警備の依頼が来た・・・芦屋坊主は今回始めて矢沢のイベントを行う、この手のロックの警備は分からないと言う事で私を呼んだのである・・・
打ち合わせで、私が「こんな場合はこうします・・・」「こうなったらああします・・・」と言ってると担当者のT
氏は「いゃ、それは私が指示を出す」「その場合は私が決める」と主導権を誇示していた・・・
当日朝の9時から機材搬入・・・(コンサート警備と言ってもアーティスト機材・音響・照明の搬入・セッティング・ばらし・搬出全てやる)芦屋坊主のT氏の指示の下、毎度々の段取りでステージ作りを進める。
午後6時会場・・・相いも変わらずこの会場にも暴走族やツッパリ連中がロビーにあふれる・・・あっちでもこっちでも「顔の飛ばしあい」「メンチの切りあいである」・・・30名連れて行ったバイトを会場内の所定の場所に着かせ私は一階客席奥より全体を見渡す・・・
右舷前方特攻服15名! 左舷前方パンチパーマにコンポラスーツ10名! 左舷後方矢沢命白スーツ8名! 右舷45度革ジャンにリーゼント8名!・・・あ~あっちもこっちも危なそうな奴らだらけ・・・そんな中、客席より女の子が泣きながらやってきた・・・「私の席に怖そうな人が座ってどいてくれない・・・」と・・・取り合えず主導権を誇示していたT氏の所へ・・・しかしT氏は額に冷や汗、目はパチクリ、私が事情を話すと「全面的に君に任せる」「宜しく頼む」と・・・なんじゃこりゃ~である。
女の子と一緒に客席に行く・・・前から三列目のセンターの席・・・座席確認・・・あちゃ~・・・玉虫色のスーツを着たパンチパーマの御兄さんが「でーん」と座っています・・・「なんでこんな事ばかり俺がせなあかんねん」の心境であるが振り返ると女の子・・・周りを見渡すと私が連れてきたアルバイトの目・・・立場・立場・立場的に一歩も譲れない・・・私「チケット見せてもらえますか~」パンチ「無視・・・」 私「チケット見せてもらえますか~」 パンチ「何処かへいてもうた・・・」 私「この席のチケット持ってるのはこの子やで、だから退いて」ほれっとチケットを提示する・・・パンチ・立ち上がり私の顔3センチの所まで接近「ここは俺の席じゃ・・・」 私「何をごちゃごちゃ言うてんねん」と今度は私からパンチの顔に1センチ接近! パンチも負けずともう1センチ接近・・・危ない!このまま行くと接吻である・・・
無言の睨み合いが5分続き・・・結局、玉虫色のパンチはブツブツと捨て台詞を吐きながら後方の席へ戻っていった・・・
その後、コンサートは荒れたがステージは守られた!
そして、そのT氏(棚田君)とは友人になった・・・
神戸国際会館・・・「ツイスト」コンサート・・・あのツイストである・・・立場逆転の世良氏である・・・少々恥
ずかしかったか楽屋へ訪問私「覚えてますか・・・大阪の矢沢のエンジェルの・・・(恥ずかしい・・・)」 しかし世良氏も金太(ドラム)は快く、「あ~元気!」「今日は来てくれたん・・・」 私「いや警備で・・・」 世良・金太氏「宜しく頑張ってねー・・・」 私「悪いけど写真一緒に・・・」パチリ! 世良氏も金太氏もドカーンと売れているにもかかわらず気持ち良く写真を撮ってくれた・・・。私1人が心の中で隙間風・・・
立場逆転である・・・
京都・円山公園野外音楽堂・・・矢沢コンサート・・・客入れと同時に上半身裸で刺青!おまけに木刀まで持参の5人組入場・・・やっとれん! 大荒れ! ああ~
こんなドカーン!ドカーン!日々か続く中、私は実家をエスケープした・・・
大阪・天王寺の旭町・・・当時は都市開発に取り残された、近くに赤線が残るような・・・6畳一間、共同トイレに共同台所・・・家賃確か1万3千円・・・大阪市の南側のターミナル駅・天王寺駅にも近く、立地は最高だが環境が最悪の場所。しかし1つも不安を感じる事は無かった・・・むしろここからスタートや!と言う意気込みだけが私を支えていた・・・自分の城は決まった!後はどうして飯を食う・・・コンサート警備は毎日ある訳ではない・・・アルバイトニュースが日々の愛読書となった・・・都合の良い時(警備の日)に休めるバイトはないか・・・ひとつの広告を見つけた。大阪・ミナミのライブハウス「ゴーストタウン」ウエイター募集!。この店は以前エンジェルでオーディションを受けている・・・それにこの店のオーナーは桑名正博氏(♪セクシャル・バイオレットNo1♪で一世を風靡したロック・アーティスト)のお父さんである・・・きっとミュージシャンには理解があるはず・・・と・・・
面接。即OK!・・・これで飯は食える・・・ゴーストタウンの実質の経営者は桑名氏のお母さん・・・私の事
を「SERI~」と呼び、非常に私を理解してくれた・・・本当に世話になった・・・桑名正博氏の古着を貰ったり、深夜店をバンドのリハーサルに使わしてもらったりと・・・今考えると確実にこの店で私はステップアップした・・・ゴーストタウンのバイトの出来る日は、午前11時から午後11時までの12時間労働、どうせ部屋に帰っても6畳一間の寝るだけ、働ける日はフルに働き、そしてコンサート警備を続け、メンバー捜しの日々が続いた・・・
一方、サウンドクリエーターに新入社員が入ってきた、高橋氏・・・私より2歳年上の高橋氏は京都のアンジャズ音楽スクールを卒業し入社である・・・サウンドクリエーターのS氏は「関西でのプロモーションをやる際手伝ってくれる奴がいる」と高橋氏と私を組ませた・・・「私は単なる日雇いバイトなのに」と疑問は残るが、その高橋氏とチラシ撒きやポスター貼り・コンサート警備等を一緒にやっているうちに私のバンドのメンバー捜しに力を貸してくれるようになった。そして高橋氏の後輩のギターリストを紹介してくれた・・・
面接! 音楽レベルが違いすぎる・・・独学のロックンロール小僧の私に対してジャズ・スクール卒業生・・・端から接点は無い、ただ高橋氏を知っているだけ・・・私がなんぼ「ワオ~・・・ライブこうやって・ああやって一緒に成り上がろう」と言っても馬の耳に大仏?失礼、念仏である。しかし彼は話の流れ上1回だけ手伝うと言う事で落ち着いた・・・なぜ1回だけの限定なのかと言うと一ヵ月後、私のアルバイト先であるゴーストタウンでライブパーティーが行われるからである、それも私達の仲間主催の・・・それに出演するのである。それもメインで・・・バックメンバー1人だけなのにメイン・トリ・大トリである「あちゃ~」・・・
私の人生において、こんなパターンが凄く多い!と言うか自ら作っている・・・目的・目標を立て、逃げも隠れも出来ない状況を作り乗り越えていく・・・それが私のパターンのような気がする・・・
結局、残りのドラム・ベース・もう1人のギターは高校時代の友人のギターリスト脇谷君とその友人達にお願いして本番のライブを行い何とか成功した・・・
この勢いに乗った私は正式メンバーもいないのに大阪・森之宮青少年会館小ホールで行うコンサートを企画した!
何故自分で企画するのか・・・それはエンジェル時代から言えることなのだが自分が主催すれば自分達がメインに出来ると言う事!他のいくつかのバンドを出す事によって人も集まる・・・そこでトリの自分達がかっこよく決めるファンが増える・・・プロが良く使う手段(イベンターが新人を売り出す際に良く使う手である)・・・振り返ればエンジェルの矢沢の前座への起用もそうであった・・・それを目の当たりに体験した私が同じやり方で自分を成り上げるのである・・・自分でチケットを作り、他の出演バンドを探し・・・5バンド程を集め各バンドが40枚ほどのチケットを手売りする。自分1人では40人集められない・・・各バンド40人×5バンド=200人。青少年会館キャパー200名。満杯・・・そしてトリ私のバンドがカッコ良く決める・・・知名度が上がる・・・成り上がりOKである!
結局コンサートはまたしても脇谷君&フレンドに手伝ってもらい成功を収める・・・そしてその時、他のバンドで出演していたメンバーを2人自分が描く構想バンドに引き抜く! 「俺とやればプロになれる!」と強引に・・・しかし、今考えると何を根拠に「プロになれる」と誘っていけたのだろうか?若さが出来る「明日無き暴走」なのであろうか・・・凄い自信の塊やった気がします・・・・
このようにしてSERIKAwithDOGのメンバーがコンサートでの引き抜きと友人の紹介によって決まっていった・・・そしてその影には幾つかの他のバンドをつぶして来たのも事実である。
SERIKAwithDOGの名前の由来であるが、メンバーも無くライブの出演が決まる・・・チケットに名前を
入れなくては・・・6畳一間で天井を見上げ・・・「ウム~バンドの名前・バンドの名前・・・我らがエーちゃんE・YAZAWA・・・俺T・SERIKAWA・・・俺、戌年・・・セリカは戌年・・・セリカは戌年・・・SERIKAwithDOG! うっうっうっイイ・・・これ決定!」
20歳の冬、こたつに入って天井を見上げていた私はは1人でバンドの名前決定に感動し盛り上がり吉野家の牛丼に熱燗で乾杯した・・・
そして、その頃コンサート警備の依頼も多くなり私は大阪四ツ橋のピルの一室にコンサート警備会社「ドッグファミリー」を立ち上げた(会社と言っても法人登録はしなかったので部活みたいなものである)・・・なぜ「ドッグファミリー」かはバンドの名前からの引用である。そしてドッグファミリーを作ったことによって仲間・チームがドカーンと増えSERIKAwithDOGはサウンド面よりチームワークの方で関西アマチュアシーンにおいてその頭角を現しだした・・・
その頃のコンサート警備の際、イベンターから支給される「お客と警備」を区別するものは腕章程度であった。本番中は場内は暗く腕章程度では警備もお客も分からなくなる、まして場内が荒れるとなおさら・・・そこでは私はアルバイト警備全員に同じ色のトレーナーを着せた・・・イベンターからしても勝手にドッグファミリー側で揃えるのだから都合がいい・・・場内同じ色のトレーナーを着たアルバイト警備が動く・・・しかしそのトレーナーの背中にはSERIKAwithDOGとプリントしてあるのである。誰のコンサートの時もSERIKAwithDOGのトレーナーを着た30名~50名のアルバイト警備が動く・・・注目のアーティストには業界関係者が観に来る、その前をSERIKAwithDOGのトレーナーが動く・・・案の定、音楽関係者から「彼らは何・・・」となっていった・・・
つづく





