2006年04月18日
リトル村長のR&R!ズッコケ・ストーリー
以前ブログにて「私のロックンロール・ストーリーを書く」と言っていたのでスタートしたいと思います。
アウトドアとは全然関係ありませんが息抜きとしてお読みください・・・
第一話は私が高校時代から20歳までのリトル悪戦苦闘の物語です。
高校3年バスケット部の部長をしながらバンド「エンジェル」のリーダーを担当する。
私がバスケの部長に選ばれたのはバスケ技術ではなく、後輩の面倒見の良さから選ばれた・・・副部長になった中島は技術もありバスケ部のポイントゲッターでもある。私が部長になってからバスケ部の統制が少々崩れだす・・・バスケ顧問の岸本先生とも気が合わない・・・そしてバンド練習が少々活発になりだす。
私の行っていた高校の運動部の顧問はほとんどが国士舘大学出身の運動バリバリの縦型社会出身。朝練・夏季合宿と休みは夏休み中の一週間程度、休部・退部・休み等は殆ど認めない、下校時も校門に張り付き帰ろうとする部員を捕まえ部室に連行するほどだった・・・私はそんなバスケ部の部長になり尚バンド・リーダーもやる・・・高校3年の夏前に私は体調を崩す。大阪市大病院で検査・・・尿から淡白が出ている。医者は「精神的なものの様だが、運動は控えてください」と・・・バスケ部長・顧問との不仲の中バンドリダーをやる・・・精神的に少々ヘビーだつた・・・
医者からの忠告を機会にバスケ部には顔を出さなくなる。顧問は激怒「バスケはしなくていいが、部活には出て後輩を指導しろ」と・・
私は自分が汗(バスケ)もかかないで後輩や同期に部長として発言・命令する事は出来ない心境だった。しかし顧問は「部員に示しがつかない」と私に部活に出るよう命令した・・・私は退部を願ったが認められず、ズルズルと部活との不協和音が続く。
顧問は私をバスケ部として卒業させどんな事があっても退部を認めない姿勢を貫きたかった様だが結局私は卒業前に退部・・・これが原因で「絶対退部を認めないバスケ部」から後輩達が相次いで辞めて行った・・・
一方バンドの方は関西のイベンター「サウンドクリエーター」とつながりが出来、デモテープを聴いてもらうことになった。サウンドクリエーターは当時矢沢永吉・松山千春・ユーミンなど80年代ニューミージックを代表するアーティストの興行を関西エリアで行うイベンターで、矢沢永吉に関しては全国ブッキングをしていた。
矢沢永吉は当時大阪厚生年金ホール(3000キャパ)がまだ満席に出来ない頃で、デモテープでつながりを持った私はチケットを数枚手売りすると言う事で矢沢永吉の関西エリアでの前座バンドの仕事を手に入れた・・・当然サウンドクリエーターが行う他のロックンロール・アーティスト(舘ひろし&クールス他)の前座の権利も手に入れた。様はそこそこ演奏出来れば後はチケットを捌く事なのである。
しかし、そのおかげで私達エンジェルは関西エリアにおいてロックンロールバンドとしての知名度をグングン上げていき、当然技術も向上していった。ツアーで来る東京のスタッフからも「関西でロックンロールのイベントをやる際は彼らに声をかけないと・・・」と言われる程までになった。
そして私は暇さえあればサウンドクリエーターへ足を運んだ。ポスター貼りやチラシ撒き・コンサートの機材の搬入・搬出・警備等、色々な手伝いをし自分達エンジェルの仕事、プロへの道が開けるのを待った・・・。
バンドのメンバーはプロ意識は高まるが、私のする業界とのつながる手段には完全お任せの言いたい放題であった。次第にメンバーとの間にギャップが出来始めた。

半年も前から決まっていた矢沢永吉大阪厚生年金会館前座の仕事。
同然私達は前座に出ると言う事でチケットを300枚ほど手売りした。先にも述べたが矢沢永吉ソロで厚生年金満席はまだ無理な頃・・・私達メンバーの手売りで何とか当日は満席になった・・・
「俺達も出る」「出る」「出ーる!」と言って捌いた300人分の300枚・・・しかしリハーサル前にトラブルが発生した。
トラブルと言っても矢沢永吉の一言!「今日は前座無し・・・」である。
私達のリハーサル直前サウンドクリエーターの鈴置さん(S氏)が血相を変えて俺たちの所へやってきた・・・当日楽屋も決められていなかった私達はその事を会館ロービーで聞いた・・・「ふざけるな!」である。半年も前から自分達は手売し何とか当日の満席まで来たのに何を言っているんだこのS氏は・・・
ここで前座バンドについて少々述べておこう。
前座バンドと言うのはメインのアーティストの前に20分程度演奏するバンドの事。以前、海外アーティストの場合はよく日本の同ジャンルのプロミージシャンが務め国内の知名度を上げるのに利用される。古い話で悪いがビートルズの前座バンドはドリフターズが行った。
そのように前座バンドに起用されるのには色々な要因がある。様はイベンター・レコード会社の戦略の1つとして使われ、私達の場合はチケットの手売りで貢献するといったイベンターの戦略での起用である。
また、矢沢の場合は特に厳しく演奏時間20分厳守。矢沢機材使いまわし無し。ステージ中緞帳を降ろし矢沢ステージ機材を見せない。
といったものだった。ひどい時には会館により中緞帳の位置が悪く奥行き2メートル幅のステージに機材をセットした事もあった。当然客席に出る音量も矢沢の半分である。あくまでも盛り上げ役・・・
しかし、知名度を上げるチャンスとして以前はよくコンサートに前座があったしエンジェルの知名度は確実にあがった・・・
話を元に戻そう・・・「俺達は半年も前から自分達が出るといってチケットを売ってきたんだ!」「今になって何を言っているんだー」とS氏に講義する・・・S氏も当然それを分かっている。俺達と矢沢の間を行ったり来たりと矢沢に交渉・・・数時間後OKが出た。
しかし、OKが出たのは開場(客入れ)30分前・・・慌ててセッティングそしてリハーサル・・・舞台のそでで着替え即本番・・・
なんと私達のステージが始まったのは客入れと同時だった・・・ほとんどの客がロビーでたむろしている頃に俺達は演奏し終了したのである。
今でもはっきり覚えている・・・自分達が終わり舞台のそでに下がった時、矢沢が白のステージ衣装でそでに現れた。私は腹立ちはあったが「ご迷惑かけてスミマセンでした」と道義上言った・・・矢沢は「よろしく!」の一言だった・・・
後から聞いた話だが大阪の前の九州公演で前座バンドが演奏時間をオーバー・その上友人達にアンコールを強要させる等行い矢沢が激怒し、それが原因で今回の前座バンド無し事件に・・・結局私達が矢沢永吉最後の前座バンドになった・・・
ライブハウスの件で面白い事が1つ有る。大阪梅田のライブハウス・・・名前は忘れたな~・・・そこに出演の際、お客さんのノリが良く終演後もそのお客さんと結構盛り上がった。彼らは大学4年のバンド仲間で、ロックの教祖的存在の矢沢永吉の前座をやった私達エンジェルを一目見ようとやって来たらしい・・・と言うより彼らが集まるライブハウスにエンジェルをブッキングしたと言った方が正しい・・・年齢は3歳程彼らの方が上だが矢沢の前座をやっている私達の方が閣は上であるし態度もデカかった・・・結局矢沢ファンと言う事で意気投合し今度一緒にやろうと言う事になった・・・
後日大学生バンドのボーカルのM氏から学園祭の出演依頼の電話が入った・・・私は結構カッコつけ出演をOKした・・・しかし、その後電話は来ない。
私は「カッコつけすぎたかなー」と反省が頭を過ぎっていると今度はライブハウスから電話が入る。
「大学生バンドの×○△□が出演出来なくなりスケジュールに穴が開いたので出演して欲しい」と・・・当然OKである。
私は打ち合わせの為にそのライブハウスに足を運んだ・・・するとその店の中で皆が一枚のレコードを聴いていた・・・
「あんたに~あげーた~愛の日々を~今更返せとは~言わないは・・・」 世良正則&ツイストのデビュー曲「あんたのバラード」である・・・そう、大学生バンドのM氏は世良正則であり大学生バンドとはツイストであった・・・
一瞬にして立場逆転! 彼らがデビューで穴が開いたスケジュールを私達エンジェルがシコシコと埋めた・・・大笑いである。
その後、サウンドクリエーターのS氏とも音楽的な話が次第になくなりコンサート警備の人集めの依頼やスタッフ業務がばかりになった・・・
S氏の考えが徐々に分かってきた・・・「私をミュージシャンにするよりこのままズルズルとスタッフにした方が自分には都合が良い」と言う考えの様だ・・・「ふざけるな!」である・・・しかし業界とはつながっていたい・・・
その後も私達は手打ちコンサート・ライブハウス出演を続けるが、次第に私はバンド脱退の気持ちが高まりだす。メンバーの意識とサウンドクリエーターS氏の事・・・このバンドではプロを目指したくない・・・そういう気持ちが頭の中をグルグルと駆け巡りだす。
結局私は20歳を前にこのバンド「エンジェル」の3年弱の活動にピリオドを打つ・・・
ロックンロールバンド「エンジェル」出演の足跡・・・
矢沢永吉・前座4ヶ所、神戸国際会館・滋賀会館・和歌山県民文化会館・大阪厚生年金会館
クールス・前座2ヶ所、京都会館第二・大阪御堂会館
舘ひろし・前座2ヶ所、京都会館第一・大阪御堂会館
ライブハウス出演 数ヶ所
手打ちコンサート13回、大阪森之宮青少年会館・桜ノ宮公会堂・八尾市民ホール・YTVオーディアム 他
その他イベント10ヶ所、奈良県文化会館・天王寺野外音楽堂・橿原市民会館・びわこ湖畔特設ステージ 他
つづく
第二話は除雪の合間、気が向いたら書きます。
また、エンジェルについてはリンクの所に詳細アドレスあります。
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おはようございます。
ホェェ~でした! (^^♪
ロックンローラーでしたかぁ~
しかも!!!あの>矢沢の・・・
聞いたことあるような・・・エンジェル!
blogだけでは判りません!でしたネェ~
なんで今はアウトランドなのか・・・
第二話待っていますゥ。
いやぁ歴史(ストーリー)をかんじますね。
若さの中で突っ走っていた村長にバンザイです
オレほんとに何もしてなかったもんな。今から考えればもったいなかったとつくづく思います。村長が「えい!やってまえ!」と決断力があるのは青春時代のがむしゃらともいえる生き様からきてるのかも?そう思います。自分はどうしてもウジウジしてしまうのは、ほんとに燃えて生きたことがないからかもしれません。
kazuponさんへ
そうですねーなぜ今アウトランドなのか?
自分の中では辻褄が合っているのですが・・・
第二話・3話・4話~へとアウトランドになっていく流れが、つながりが判明します・・・しかし、つながるまでは時間がかるな~
ずーさんへ
人それぞれ突っ走り方はちがいます・・・
あっちが良くて、こっちが悪いと比べるわけにもいきません。
私が今までの人生の中で心がけている事は今は今・・・今出来ること、今やりたい事は今のうちに行動を起こすという事です。
今まで見送った事も沢山あります。しかし結果がなかった為いつまでも心の中で燻ぶります。
この歳になると人生は速い!
少々ヘビーな言い方ですが、仮に60歳で死ぬとして後残っているのは13年程・・・
70歳として23年・・・そうなるとやりたい事をやる為の時間の配分が決まります。
別に死ななくても頑張れる年齢には限界があります。ただ生きていれば良いと言う気持ちになれた時、少しは自分の納得行く場所、環境
また自分の気持ちの処理がちゃんとつくよう今を頑張るだけです。人生逆算です。
偉そうにすみません・・・
ついに連載が始まったんですねー。リトル村長さんの痛快バンド人生!いろいろあっても、全て今の村長さんを作った「調味料」になってるわけですよね。それが人生のおもしろいところ。
「楽あれば苦あり、苦あれば苦あり」
近ちゃんへ
少々辛口のスパイスが効いた調味料?まあ今振り返れば自分でも面白い・・・?
人生七転び八起きで八転びKO負け・・・でも
スパイスの効いた人生は面白い・・・
家のメタセコは植えた時期が同じでも土壌によって全然成長が違う・・・





