2006年03月25日
卒業
マイ娘の小学校卒業式・・・頑張った娘に100点!
娘の学年は1クラス・・・6年間ずっと同じメンバーだった。楽しい思いでも6年間引きずり、いやな思い出も6年間引きずる・・・
十日町に来て8年、親の私は大阪・東京での生活が有った上でここ十日町で生きている。辛い事が有ってもそれを回避するだけの経験や切捨ての手段を知っている。
娘はここでの生活が100パーセント・・・楽しい事はさておき、辛い事はその小さなハートで受けている・・・娘は小学校の生活で「我慢を覚えた」と卒業文集に書いているが、その文を読む親としては少々辛いものがある。

6年担任の金子先生も卒業式後クラスに集まった皆に「何事もあきらめず、自分らしく・・・」「自分の人生は自分のものなのだから」と言っていたが、娘の「我慢を覚えた」と言う意味の中に個性・主張が失われない事を願いたいものだ・・・

卒業として学校を見ると少々気持ちがセンチメンタルになる・・・廊下・階段・洗い場・・・人気のなくなった場所に娘が走り回っていたと言う残像を思い浮かべてしまう・・・この廊下、何回娘が走ったのだろうか?この洗い場で娘は手お洗ったのだろうか?中越地震の余震の時はどうだったのだろうか?などと過ぎた日の娘の学校での生活を想像してしまう。
下から見れば長い人生・上から見れば一瞬の人生。娘はまだ二回目(幼稚園・小学校)の中継地点・・・
1964年の東京オリンピック・マラソン3位の円谷幸吉の言葉に「私は上位入賞を考えたのではなく今目の前の電柱まで、そしてそれが過ぎれば次に見える電柱まで一生懸命走った、そして結果3位になった・・・」と。
大きいゴールという目標を置き、その全体を考えてしまうと自分が潰れそうになる。だからその手前の小さな電柱をまず目標に置く・・・私は彼のこの考え方が好きです(アウトランド造成はこの考え方に成り立っている)。
娘はまだ2本目の電柱の通過地点・・・これからいくつもの電柱を見つけ、悪戦苦闘するだろうけど、あまり周りを気にせず、一度っきり、やり直しの無いマラソンを自分らしく完走ゴールしてほしいものです。
私は歩道で自転車に乗り息の続く限り追いかけ応援します・・・・

最後に6年間お世話になった下条小学校の先生の方々、そして6年1組担任の金子先生、
ブログで失礼しますが、本当にありがとうございました。
追伸・・・恐縮ではございますが、卒業を祝ってポチッとクリックお願いします。

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木の上に立って見守っているのが親だとすれば、リトル村長はまさしく「親」ですねー。しかし親がおもうほど、子供は「こども」じゃないそうですよ(9人育てた私の母が言ってました)。
あと、私の父もよくこう言ってました。「一に我慢・二に我慢・三・四が無くて・五に我慢」。ということは、子供が「我慢を覚えた」というのは親としては喜ばしいこと?
勝手なことばかり、言ってすいません。ちょっと両親の言葉を思い出したもので…
。
近ちゃんブログ頑張ってますねー
トムウェイツ私も好きです。しかし私の場合は思い出に浸り少々ブルーの時に聞きます。
「人生辛いやねー」「まあ、色々あるよ・・・」てな感じです。聞き方は色々・・・ですね。
子供は確かに親が思っているほど子供じゃないかも知れませんが・・・んーまた今度書こうかなー少々長くなりそうなので・・・
おはようございます!仕事前にカキコです
親の気持ちがよくわかります。
中学からは部活などで忙しくなり・・・
なかなか親より友人が大事になってきますけどネ!
kazuponさん、いつもコメントありがとさんです。
そうみたいですねー。中学になると部活などが始まり親との関わりが本当に減るみたいですねー・・・その内「クソおやじ」とでも言うようになるのかなー・・・
遅くなりましたが、卒業おめでとうございました。また、これからも、末永いおつきあいお願いしたいと思います。
新しい職員にもアウトランド、宣伝しておきました。ランドのそばを通ったものですから。
またときどきおじゃまして、娘さんの活躍をのぞきにきます。私も応援しています。
では、また。
ラッパ吹きさんへ
本当にお世話になり、ありがとうございました。そして、これからも、なにかと宜しくお願いします。
キャンパーとして、また、残業で遅くなった場合など気楽にお立ち寄りください。
ブログにも足跡バリバリ残していってください。

